セックスレス夫婦の今と昔。其の三
〜愛の代償行為〜

どんな形であれ、私にとっては貴重で数少ない夫婦のいとなみでした。
そんな数少ない営みなのに私も彼も余程健康体だったのでしょう、
あるいは神様の思し召しだったのか私は四年の間に一男二女の子供が生まれました。
妊娠中はこれ幸いと夫は私の身体には手を触れては来ませんでしたが、
セックスをすると直ぐ妊娠してしまうのでした。

子供が生まれ子育てに追い捲られている時期は不平不満を言う暇も無く
過ごしたのですが。子育てにも落ち着き、性欲も強くなってきた。
三十才に近くなる頃からが本当の地獄でした。

夫が私を愛していなかったのは百も承知でした。けれど、私は私なりに努力した積もりでした。
夫が私を嫌いなのは、私の器量のせいなのだと思い、せめてみなりだけには気を付けました。
忙しい最中でも、夫がいるときには化粧や髪を整えることを忘れませんでした。
食事の支度にも手を抜きませんでした。煮込み料理が好きな夫の為に、
どんなに疲れていても、時間を惜しまず料理にいそしんでいました。

そんな涙ぐましい努力もみな徒労に終わりました。いつまで経っても、
夫が私の方を振り向いてくれる気配は、微塵も感じられませんでした。

いいえ、それどころかまたぞろ夫の浮気が発覚したのです。もともと夜遅く帰る事の多い
夫でしたが、外泊がちになったのです。食べ物や服装の好みが変わってきたのです。
いままでは殆ど生ものを食べなかったのに、刺身を好むようになったり、
地味な服しか着なかったのが急に派手好みになったり・・・
明らかに、また愛人が出来たとしか考えられませんでした。

都市銀行に勤めていた夫の周りには若い女性が大勢いました。チットの間の浮気は
数え切れないぐらいしてきた事でしょうが、外泊してまでの女はそんなに居ませんでした。
ある日、我慢できなくなって夫に問い詰めました。
「あなた、又女が出来たんじゃないの?近頃おかしいわね!」

彼はいけしゃあしゃあとその事実を認めたのです。いともあっさりと、
銀行の後輩との浮気を白状したのです。予測していた事態とはいえ、
私は愕然としました。浮気自体は十分に考えられることでしたが、
もっともショックだったのは私が詰め寄った時の夫の態度でした。

夫はそれをまったく隠そうとはしませんでした。言い訳の一言もありませんでした。
隠すこと、嘘をつくことも一種の思いやりだと、私は思います。
けれど、夫は爪の垢ほどの思いやりも、私に対しては持っていなかったのです。

これほど妻としての屈辱があるでしょうか。夫は、夫らしく取り繕う労力すら惜しんだのです。
それだけでは有りません。夫は私のショックにさらに追い討ちをかけるように、
「何だ、その顔は?文句があるならいつでも出て行っていいんだ」と、言い捨てたのです。
バカにするにも程があります。私は夫に掴みかかりました。

結婚して初めて私は夫に抗議したのです。ないがしろにされている恨みを、
はっきり口にしたのは、これが初めてでした。本当にこの家を出て行こうかと思いました。
しかし、子供のこと、私を頼りにしている姑のことを考えると、
これほどまでに夫に愚弄されても、なお夫の元を去ることが出来なかったのです。
何時かは私の方を向いてくれると微かな期待にひがみつく私という女はどこまで
未練たらしかったことでしょう。

夫の愛が得られない代わりに、私は銭湯の仕事に打ち込みました。
打ち込んだ、などと言えば聞こえがいいかも知れませんが、
毎日あくせくと働くしかなかった、というのが実状でした。
夫婦生活が満たされない分、わたしには身を粉にして働くほかなかったのです。

本当に私は紅葉湯と結婚したようなものでした。
セックスはおろか、夫婦間にはろくなかいわすらなかったのです。
私の一日は大半が番台の上で過ぎていきました。

私はいつしか番台に座る事だけに楽しみを見出すようになりました。
夫の愛を得られない代償行為を、番台の上から果たす事となったのです。

番台の仕事というのは、ご存知のとおり、人様のさまざまな裸を見る事が出来る
特権があります。告白するのも浅ましい事ですが、殆ど性生活の無かった私にとって、
唯一の楽しみがいろいろな男性の裸体を眺めることでした。
男性の裸の部分でもっとも私の興味を引いたのは、もちろん股間にある性器でした。
夫に抱いてもらえない欲求不満の捌け口として、
私はお客さんたちの股間を覗き見ていたのです。

番台に座ってみて判った事ですが、男の性器も顔と同じで十人十色、
それは人さまざまでした。色、形、太さ、長さ、人によって千差万別なのです。
私に取っては、男たちの顔など如何でも良い事でした。問題はズバリペニスだけだったのです。
私の興味は、ただただ男客の股間にしかありませんでした。

毎日毎日、それは色々なペニスを見ることが出来ました。
ツチノコのようなずんぐりむっくりなもの、キュウリのようにひょろひょろ長いもの、
気の毒なぐらいに小さいものもあれば、
反対にこれが日本人の持ち物かと思うほどの巨根にもお目に掛かりました。
本当に、こればかりは番台に座っている者の役得と言わねば成りません。
一日、何十、何百本と多種多様なペニスを見ることが出来たのですから・・・

男たちのペニスを眺めながら、私は人知れず何度、下腹部を濡らした事でしょうか。
男日照りのワレメは、数多くの男達のペニスを目の当たりにして、イヤが上にも激しく
欲情の炎を燃やさずには居られなかったのです。
当時、私は三十代、女盛りの肉体の持ち主です。

当時の私と夫は、今で言うなら家庭内別居の状態でした。
ただ一つの屋根の下で暮らしていると言うだけで、何の交流も有りません。
当然、セックスも皆無に成っていたりです。

完熟の肉体が、セックス無しで何時までも我慢出来る筈がありません。かといって、
その時の私は母親と言う身に縛られて他に男を作る等と言う度胸も無かったのです。

そんな私の鬱憤を晴らしてくれる手段といえば、オナニーしか有りませんでした。
私は夜な夜な自分で自分を慰めていました。番台の上から見たペニスを思い出しながら、
オナニーに励むという惨めな生活を送っていました。

その頃はもう夫とは寝室も別にしていましたので、オナニーに耽るのに誰にも遠慮は
いりませんでした。蒲団に入ると自然に股間へ指を持っていくのが、
習慣になっていました。指をソコへ待って行っただけで、条件反射のように
ワレメが濡れてくるのが常でした。
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