夫婦婦交換への第一歩。其の一
〜私達夫婦の場合〜

私が、夫婦交換と言う重いテーマの実行の協力を妻の由美子に話したのは、
もう七年も前の秋も深まりつつある十月の頃だった。もうあれから七年も経ったのか。
過ぎた年月の速さに驚くと共に、難攻不落の由美子を必死で説得していた頃が懐かしい。

夫婦交換に初めから理解のある人妻などいるわけが無いだろうが、どうして夫の気持ちを
察して判ってくれないだろうか、と自分の説得力のなさに自信喪失状態に陥った時もあった。

夫婦交換の話を持ち出すたび由美子は、
「ご都合主義的な恋愛自由論」「盲目的性理論」「利己的なセックス論」
などと相手にせず、それどころか、「極楽トンボもいいところ」と、馬鹿にする始末であった。

しかし、夫婦交換という妖しい禁断の快楽に魅入られた私は、その誘惑には勝てず、
恥ずかしいくらい性に貪欲になり、必ず実行するのだと夢を追いかけているのを自覚していた。

夫婦交換は妻の理解を得る事が絶対条件である。だから妻の意思や気持ちを尊重し、
互いに楽しむ事を理想と思い半年掛けて口説いていたのだった。
その間かなり激しい遣り取りもあった。

ある日の事、猛烈に反対する由美子の言葉に怒りを覚えた。
他の事で面白くない事でもあったのかも知れないが、
私を馬鹿にして汚い物でも見るように言った。
「またその話。嫌らしい。自分の妻を他人に抱かせて興奮するなんて、そんなふしだらな事、
 神様だって許してくださる道理がないし、
 そんな享楽的なセックスなど一度だって考えた事もないわ。
 主義の不一致ね。性に関してはあなたと理想が合わないのよ。
 夫婦の危機ね。それどころか、あなたは最低な助平人間よ」

突き放すように言う由美子の眼には、仇敵に対する怒りと憎悪の色がみなぎっていた。
私はおもわず手を出し顔を打った。そして叫ぶようにして言った。
「心の染まらぬ他人の亭主とベッドを共にするのは屈辱かもしれない。
 しかし、頼んでいるのは由美子のすきな筈の夫ではないか。
 由美子は手を貸してくれていいんだ。古い道徳や考え方は、
 この際なんの役にも立たないんだ。車のハンドルにも遊びがあるように、
 夫婦の中にも遊び心があって良いのではないか。
 少しの真面目さは夫婦間において結構だが、 しかし、あまりのにもの真面目さは、
 これは重荷であり夫婦の楽しみではなくなる」

唖然とし、大きく眼を開いて聞いていた由美子の瞳に涙が浮かんだ途端、
「ワッ・・・」と由美子は泣きくずれた。

その号泣は何時間も続いたように感じられた。身体の中の血が、一滴のこらず涙と変わって
ほとばしり出たかとおもわれるくらいだった。

私は黙って、泣きじゃくる由美子を抱き寄せた。さらに泣き声を高め私の胸に顔を埋めて泣く。
泣きたいだけ泣かせた。そして、男用の大きなハスンカチを手渡した。

「今晩はこれでよそう。静かにおやすみ。
 あすは日曜日、会社が休みだからもう一度話し合おう」
と言って由美子の側を離れ、気持の苛立ちを抑えるため台所に行き、
ウイスキーの瓶を取り出しストレートで飲み始めた。酒は苦しく毒薬のようであったが、
むせ返りながら飲んだ。瓶にどれ程酒が入っていたかは確かめなかったが、
気が付いた時は瓶は空っぽで、顔がひきつった様になった。酔って赤鬼さながらになった
自分の顔を私は想像出来た。

由美子は由美子で苦しんだらしい。今までセックスの前戯くらいにしか考えていなかった
夫婦交換の実行を迫られたのだ。
「夫は正気なのか。正気とすればなんという男なのだろう」
と思ったと言う。そして、断わる理由をなんとしても考えなければと思ったのだが、
頭の中が真っ白で、ただ、
「いやよいや、そんなこと絶対にいや。夫以外の男の裸を見て、
 たとえ『すごいわ』と思っても抱かれたたいと思った事は一度もない。
 自分とは無縁の存在として鑑賞するだけの興味しかなかった。
 自分の気持ちがそうだから、まして夫が他人の妻を抱くことを想像しただけで
 拒絶反応が出て不愉快でもある」
その時の由美子は、一種の錯乱、心神耗弱の中で、夫である私を恨んでいたと言う。
「いやらしい男」
声に出しては言わないが何度も何度も口の中で言っていたのだ。

目を覚ますと、頭の芯がずきずきと痛む。枕元に新聞紙しいた洗面器や冷水ポットと
コップが置いてある。洗面器に吐瀉物はなかったが。腹ばったまま水を呑む。
冷たい水は胃にしみ渡る。起きなければと思いながら昨夜の出来事を思い出した。
そして、夫婦交換の話を急ぎ過ぎたことを後悔した。
もう少し時間を与えれば良かったかなと悔いた。

しかし、「綸言汗のごとし」一度口から出た言葉は汗が体内に戻せないのと同様に
取り消せない。まして、夫婦交換という行為の強要は、由美子から見れば、
自分の生涯を託そうと選んだ夫からの要望だけに、
「なぜなの。私のどこに不満があるの」と問責されても仕方がない。

台所で、由美子が小気味のいい包丁の音を立てて何かを刻んでいる。
蒲団から出た私は照れを隠すように由美子に言った。
「二日酔いだ、迎え酒にビールをくれ」

遅い朝食の準備をしていた手を休め、無言で出来上がっている料理とビールを出して
並べた。そして、コップに注ぎながら、
「私も少しいただくわ。そして昨日の続きを話し合いましょう」
と言う顔に困惑が走り、沈鬱に唇を強く結んだ。急に切り出され言葉につまった私は、
無言でビールを飲むだけであった。由美子が待ち切れずに話しだした。

「私は結婚した時、あなたのような頼もしい人と一緒になれて幸福だと思ったし、
 子供が出来た時は、いよいよ自分の家庭が完全な姿になったと思った。
 本当に自分の家庭のあり方を疑って見た事も無かったわ。
 家の中を気持よく住みよくすることが、妻の責任の全てだと信じていたの。
 寒い時は暖かく、暑い時は涼しく、料理は季節の旬のものを出来るだけ美味しく
 安く作る様に、子供は健康に育てる様に、あなたにはいつでも愛したくなる妻で
 あるようにと心掛けてきたつもりなの。ほぼ思い通りにやれたと思っていたのに、
 何か気に障ることを私はしたの。なぜなの。私に魅力がなくなったの。
 だから私を他の男に提供して、その人の奥さんを抱こうとなさるのね」

まっすぐ背をのばして私の顔を正面から見ている。その姿は妻で有ることを誇って
いるように見えた。押され気味の私は、
「由美子と他の男との濡れ場と言うか、セックスをしていることを思うと、
 『他人に触れさせたくない。由美子が他の男に抱かれるなんて許せない』と思うよ、
 まして由美子が他の男の逞しさに馴らされるのは恐ろしい。けれども他の男の
 名手に奏でられて、新しい感覚を知り、悦楽を多彩にする事は私の望む所だ。
 由美子はそれを私に伝え、私はそれを自分の技法として身につける事が
 出来るのだから。言い換えれば、他人の技法を盗みそして学ぶ、
 その結果が由美子をさらに満足させることが出来るんだよ」

この言葉を聞いて由美子の心が少し動いたらしい。愛撫といえばオッパイ、
刺激といえばクリトリスと馬鹿の二つ覚え宜しく実行する夫の性技の貧しさから、
夫婦交換を実行することによって早く脱却して欲しいと。
しかし他の男に抱かれるほど、心も身体もその事を望まなかったらしく続けて言った。
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