関西訛りの家政婦松野さん。其の一
◇まな板の鯉◇

20年前の50歳の時、S字結腸に出来た腫瘍を切除するために二ヶ月ほど
入院した時の事である。
昨今では大腸癌の手術は15日も入院すれば退院させられる程医術も進歩
したようであるが20年前は退院までに二ヶ月も掛かったのである。

私はそれまでは健康だけが取り柄で、医者に掛かった事などなかったから、
生まれて初めての入院であった。
事の起こりは午後になると38度余りの熱が出て、それが何日も続くので、
どちらかと言えば軽い気持ちで検査入院をしたのであったが、三日ほどの
間に何種類かの検査をし、最後の腸の内視鏡検査で患部が見つかって、
手術と決まり、外科病棟へ移された。

入院中でも商売上の電話が必要であり個室へ入ったが更に、
二、三日は手術前の検査が有るだけで、至極のんびりした気分であった。
明日手術という前日、担当看護婦の坂口さんがやって来て、
「テイモウしますから、下穿き取って下さいネ」と言う。
「テイモウ?なんだい、それ?」
私は坂口さんの言っている言葉の意味が判らず、オウム返しに聞き返すと、
坂口さんはニコリともせず、
「お臍の所からオチンチンの処までの毛ェを剃るのよ」
事務的にそうそう答えて、持ってきた器具のケースから石鹸を取り出して、
刷毛で泡を立て始めた。

私は慌てて蒲団の中でパンッを脱いで、枕元の籠の中に入れたが、
この時始めて、これから手術をするのだという実感がジワッと湧いてくるのを実感した。

坂口さんは私の掛け蒲団を足元まで捲くり上げ、 入院時に病院から支給された白地の
浴衣の紐を解いて、仰向きに成っている私の下半身を剥き出しにした。
ダランと垂れたチンポが現れると、
「ずいぶん毛深いのね。おまけに胸毛まで生えてるわ」

坂口さんは独り言のようにそんな事を呟いた後、慣れた手つきで私のチンポの先を
抓み上げ、冷たい石鹸の泡を塗り付けてけて、間をおかずに、ジョリジョリと音をさせて
下腹から、陰阜、陰阜から睾丸の裏にかけて密生している陰毛を剃り始めた。

私は病人と言っても、その時は激しい痛みもなく、気分も悪くなかったから、
神経状態は健康な頃と殆ど変わらず、その上、すでに覚悟は出来ていて、
言わばマナ板の鯉の心境であったから、若い女の柔らかい指に触れられて、
最初は萎れていたチンポが次第に頭を擡げ始めたのを感じて、
流石に恥ずかしくなり、目を閉じた。

その時、病室の入口のドアが開く気配がして、
「何かお手伝いすることない?」
と若い女の声がした。そっと薄目を開けて見ると、足元に若い看護婦がいて、
真剣な眼差しで私の股間を覗き込んでいた。
私のチンポは恐らく若い看護婦の前でギンギンに勃起して、威容を示して居る筈で、
それを思うと少し誇らしい気分に成ってきた。

「駄目よ、あなた。そんなに勃てると、怪我するから」
坂口さんは笑い声でそんな事を言い、チンポの根元から睾丸の裏へ剃刀を移した。
間もなくその看護婦が病室を出て行くと、
入れ代わりに今度は二人ばかり看護婦が見物にやってきた。

後から聞いたことだが、患者の剃毛があると、
暇な看護婦は面白半分に見物に来るとの事であったが、
今がそれらしかった。自分で言うのも何だが、普段でさえ人並み外れて大きなチンポが
勃起しているのだから、若い看護婦はさぞ驚いたに違いなく、
胸毛の剃毛が終わるまで、五、六人の若い看護婦が見物に来たようであった。

いよいよ手術と言う日の朝、看護婦の坂口さんがやって来て、
事務的にチンポを抓み出すと、今度は尿道の入口から膀胱まで細いゴム管を挿入した。
この時は見物人はなく、私の方も緊張していて剃毛の時のように勃起する事は無かったが、
二度も坂口さんに直にチンポへ触れられたわけで、坂口さんに対して、
ふと他人でないような気分を味わったものである。

午前二時からの予定が前の患者の手術が遅れた為に三時に手術室へ運ばれた。
四時間を越える大手術であったが、首尾よく患部の摘出に成功し、経過も順調であった。
担当医の話では、摘出した患部の一部は一応癌センターへ送って精密検査を受けると
いう事であったが、癌の心配は先ずなかろうと言う事であった。

集中治療室で二昼夜を過ごし、再び個室へ戻ったが、其処には一畳ほどの畳の間が有り、
当初は妻が其処へ泊りがけで付き添っていて、昼夜献身的な看病をしてくれた。

手術後の二週間ほどは完全な絶食で、二十四時間休む事無く点滴注射が続いていた。
それまで八十キロ近くあった体重が、七十キロを切るほどになって、当然の事ながら
手術前はあれほど旺盛だった性欲も殆ど起こってこない状態であった。

そのうえ、手術前にチンポの先から尿道を通って膀胱まで差し込まれているチューブは
其の侭で、二十四時間、小水はそのチューブを通して垂れ流しの状態であった。
◇蒸しタオル◇

ようやく重湯を飲めるようになり、妻はそれを機会に家へ帰り、
代わりに松野と言う雇いの家政婦さんが来て
泊まり掛けで世話をしてくれる事になった。

松野さんは四十歳過ぎの人の良さそうな小柄なオバサンで、
五年程前、銀行員だった。ご主人を亡くされ、
最初は友人の家政婦の手伝いをしていたが、本人の努力次第で
相当の収入に成る事を知って、本業に選んだと言うことであった。

顔立ちは決して美人とはいえないが、色白で所謂「七難隠す」タイプで、
少し目尻の下がった愛嬌のある、どちらかと言うとスケベそうな顔立ちだった。
夫は関西系の大手都市銀行に勤めていて、関西から関東に夫と共にやって来て、
十年になるが未だ関西訛りが抜けない可愛げのある女性で私の男心をそそった。

重湯が一週間ほどで三分粥になり、それが更に五分粥、八分粥と固形物に成って来ると、
それにつれて私の性欲も段々と高まってきて、夜など、私の世話をしている松野さんの
隙を見て素早くお尻を触ったりしていたが、そのうち松野さんの方も私に対して満更でも
ない様子に気付いたので、ある時、スカートの裾から手を忍ばせてパンティの上から
オマンコを触ると、
「駄目やないの、病人の癖して」
と身を交わしていたが、そのうち少しずつ許すようになって来た。

三週間経って、ようやくベッドから降りて歩く練習を始めたが、最初はふらついて、
とても歩けず、立っているのがやっとであった。ベッドへ戻って、剥き出しになった
太腿辺りを撫でて見ると、手術前は張りくんでいた肉がゲッソリと落ちて、
妙にフワフワした頼りない感じであった。

私は成人してからは是まで長くとも一週間とセックスから遠ざかった事は無かった。
だから手術後、最初に松野さんのオマンコを触った時などは、ついに興奮の余り
勃起したチンポからチューブが抜けそうになり、翌日は少し熱を出した。

そろそろ汗ばむ季節であったが、風呂へは入れないので、
二日に一度くらいは松野さんが蒸しタオルで体を拭いて呉れた。

「可哀想に、チンポへこんなもの入れられてからに」
松野さんは時々そんな事を言いながら、チンポを弄ぶように蒸しタオルで拭き、
序にお尻の方も綺麗に拭いてくれるのであった。
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