新聞配達の女。其の二
〜緑のシール〜

こうして私と女は少しずつ打ち解け、互いの家のこと等も話すようになった。
といったって新聞配達の途中で、忙しい最中である。

込み入った話などは勿論出来ない。それが出来たのは、顔見知りになってから
二ヶ月ほどたってから後の事だった。
其の日の朝は新聞が休刊日だったので、私は七時ぐらいに床を離れた。
それから顔を洗って朝飯を食べて、また昼時になると、何時もの癖で郵便受けを
覗きに行った。(うん、手紙がきているようだ)

小さな絵の付いた白い角封筒を手にすると、私はそれを裏返して見た。
差出人の名前は中山輝子となっていた。はて?と一瞬迷ったが、すぐに思い当たった。
(あの新聞配達の女性だ。そうか、名前は輝子と言うのか)

中山という苗字は、前に自己紹介された時チラッと聞いた事があった。
それを部屋に持ち帰ると、私は若造みたいに胸をドキドキさせて封を切った。
中から可愛いマンガの絵が印刷された便箋が出て来た。私は其れを一気に読んだ。

『杉田様。毎朝お声を掛けて頂いて、ありがとうございます。
 お声を掛けて頂く様に成ってから、新聞配達があまり苦にならなく成りました(本当です)。
 会った時に話せば良いのですが、何しろ慌ただしく、
 それに私自身も少し気が引けますので、
 こうしてお手紙を差し上げて杉田さんのご意向を伺うことにしました。
 実はかなり以前から、娘達がチョコレートのおじさん、(すみません、家ではこう呼ばせて
 いただいてます)に関心を抱いているらしく、「デートに誘えば?」などとうるさく言うのです。
 チョコレートの好きな娘達ですが、チョコレート欲しさに言っているとは思えません。
 私の話を聞いているうちに、チョコレートおじさんのことに好感を持ったのだろうと思います。
 そこでお願いです。もし、差し支えなければ本日の午後四時頃、 
 お宅におじゃましたいのです。そして、日頃のお礼にお家の中を掃除させて欲しいのです。
 (奥様がお亡くなりに成ってご不自由ではないかと勝手に想像しました。
 外れていたらお許しください)
 そこで、イエスだったら郵便受けに、この緑のシールを貼っておいていただけると
 ありがたいと思います。それでは失礼します』

封筒を振ってみると、小さな丸いシールが出て来た。
私は興奮しながら其れを手に取ってみた。(あのひとが掃除に来てくれるぞ!)
散らかった部屋の中を見回すと、私は立ち上がって時計を見た。
時計を見るまでもなく正午に近かった。(あと四時間だ)

シールを手に、私はそそくさと玄関に出た。そして郵便受けのよく見える処に
其れを貼っておいた。

彼女が来るまでの時間は、私には気が遠くなるほど長く感じられたものである。
だが、昼飯を食べ、テレビを見ているうちやがて其の時間がきた。
チャイムが鳴った。カギは開けておいたが、私は内側からドアを開けてやった。

「やあ、どうぞお入り下さい」
「失礼します」
中山輝子は、手にした白い紙包みを私に渡して、娘達が作ったものだと言った。
「ぜんざいらしいんですけど、女の子ですから、甘いものしか頭にないみたいですみません」
「やあこれはこれは、ぜんざいは私の好物ですよ。ありがたい」

それを受け取る時、彼女の手が私の手にちょつと触れた。私はギクッとしたが、
彼女は平気なようだった。

中山輝子はそれから部屋の掃除をしたり、風呂場を磨いたり、夕飯をこしらえたりしてくれた。
無理を言って一緒に夕飯を食べ終えたのが六時半だった。
二人で炬燵に入ると、彼女は私に「横に成ったらどうですか」と言って呉れた。
年寄りのことを良く弁えている言葉だった。

私は其の言葉に甘えて横に成った。すると今度は、
「腰でも、揉みましょうか」と言うではないか。私は断った。
だが彼女はそんな私の頑な態度を笑いながら、私を腹這いにさせ、腰を揉み始めた。
揉まれながら私は涙が出るのを抑えきれなかった。

「まあ、杉田さん、涙が・・・」
中山輝子は直ぐそれに気付くと、ハンドバックからハンカチを取り出し、
嫌がる私を子供みたいに扱って拭いてくれた。
ティッシュではなく、ハンカチで拭いて呉れたのには、私は余計に感動した。

「淋しくないですか杉田さん、本当はお淋しいんでしょう?」
腰を揉む手の力の加減が微妙に変化した。
「いえ、本当は私だって淋しいんですよ。
 子供は居ますが、矢張り男の人がいませんと・・・」
と言ってから「アッ」と彼女は口を覆った。

「あ、あの、そんな積りで言ったのでは・・・」
慌てる彼女を下から見て、私は素早く其の手を握ってやった。
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