照代夫婦の寝物語。其の一

照代は夫、義男と19歳の時に結婚し、35年間
幾多の困難を乗り越えて此処まで来たが、義男は仕事は出来るが
職人気質が抜けず、ともすれば、時代に取り残される一徹者だった。
物作りに拘り過ぎて、必ずしも商売が上手いとは言えない。

そんな義男に成長した息子達は経営に関して、
事有る事にぶつかる様に成って来た。

銀行筋や取引先からもそう言う「親子の対立」は好ましいとは思われない。
見かねた照代は義男に提案した。
息子達の遣りたい事を「別会社」にして任せては如何か、
今の会社は貴方を中心にして此の侭で遣って行けば良い。
息子には新しい感覚で貴方には無い分野を任せて見たら。
と言うのである。

取り敢えず「子会社」と言うことで貴方も役員として、
何かの時には応援してあげて、
私は当面経理と銀行関係を見る事にするから。
と言うのであった。

それから5年、所謂IT関連企業として、
息子と照代の立ち上げた会社は順調に売り上げを伸ばし、
利益も上げられるように成っていた。
義男にも其れが良い刺激になり、
利益面ではマアマアだが、売り上げは好調に推移している。

照代の判断は正しかった。
今年に入り札幌に新規事業を起こそうと言う計画が持ち上がり、
息子と照代は二ヶ月前から札幌にマンションを借りて仮住まいしている。
義男を一人横浜に残すのは心配で有ったが、
息子の嫁が「お父さんの面倒は私が見ます」
と、言うことなので、息子と二人で札幌に乗り込む事に成った。

札幌に息子と乗り込んで、現地事務所の開設準備、地元有力者への挨拶と、
地元出資者へのプレゼンテーション等で、この一と月、寝る間も無いぐらいに忙しかった。
10月に入り、地元で採用したスタッフも仕事に慣れてきた処でやっと照代にも余裕が出来てきた。

そうなると気がかりなのは横浜で待っている義男の事である。
嫁が面倒見るとは言っていたが、未だ小さな子の居る嫁も義男の事ばかりカマっては居られないだろう。
三度の食事はしっかり食べて居るか、肌着は毎日着替えて居るか、支払い関係は大丈夫か、等
考え出すと次から次へと心配だらけだ、何時も義男の傍に居て、何一つ出来ない男にしてしまった、
事を今更に後悔してる、ご飯の炊き方位教えておけば良かったと思う照代であった。

考え出すと居ても立っても居られない照代である。
息子を呼んでこう言った。
「お母さん明日の飛行機で横浜に一時帰宅して来るわ、月曜日には帰って来るから」
と言うと息子は。
「其れが良い、でも月曜日等と言わず暫く親父の面倒見て来たら」
「こっちはもう大丈夫だよ、スタッフも揃ったし、之からは俺の出番だよ」

「そうよね、お母さんは、仕事の事は判らないから、
貴方に任せて、暫く横浜に居ようかしら」
「その間私が孫達の面倒見て美代子(嫁)さんを此方に来て貰う事にしようか」
「お前もソロソロ寂しく成って来たんじゃない、逢いたいでしょう」

「はぁはぁは、寂しいのはお母さんの方だろう」
「親父も首を長くして待ってるよ、早く帰って上げな」

と言うことで照代は一時横浜へ帰る事にした。
早速電話でこの事を義男に知らせ、航空券の手配をするのであった。

新千歳発9時、羽田着10時30分の飛行機が予約出来た。

義男は照代からの電話に無愛想を装っては居たが、内心は嬉しかった。
別居生活は僅か二ヶ月位だが、もう半年も会っていない様な気がしていた。
10時半着と言うのにもう9時過ぎには羽田に着いて、照代の帰りを待ち焦がれていた。
飛行機は定刻通りに到着した。ロビーに照代の姿を見かけると、
出口のドアー近くまで歩み寄って、照代を出迎えた。

「おかえり、ごくろうさま」

「あなた〜」と歓声を上げ、照代は義男の胸に飛び込んだ。
おおよそ普通の日本人は、こんなあからさまな抱擁は人前ではしないものだ。
でも今の照代には周りの状況は見えていなかった。
「おいおい、皆が見ているよ、恥ずかしいじゃないか」

義男は嬉しくも有り恥ずかしくも有った。
今の旅行は昔の様に大きな手荷物は持たない、
がさばるものは「宅配便」で送る便利な時代だ。
小さなスーツケースとバック一つの至って簡単な荷物である。
それでも義男はスーツケースを手に持って照代を身軽にしてやった。

「ねえ貴方此の侭帰る訳ではないでしょう」
「何処か郊外のホテルに行きましょうよ」
「横浜は嫌よ、誰に会うか判ったもんじゃないから、此の侭鎌倉辺りまで行かない」

義男は照代の気持ちは先刻承知だ、夫婦は阿吽の呼吸でお互いの欲求が
判るものである。義男は横浜を通過して横浜横須賀道路へとクルマを進めた。

「札幌は順調の様じやないか、さすがお母さん、経営者としては頭が上がらないよ」

「いゃあ、北海道は大変よ、経済は冷え切ってるし、資金を集めるのに苦労したわ」
「二、三年の間、配当は期待しないで呉と言うと半分位の人は帰って仕舞うのよ」
「日本の資本主義は未成熟なのよ、金を出せば直ぐ見返りを求め、特典を求めるのよ」

「四、五年掛けてジックリ企業を育てよう、と言う気風が無いから、
経営者は目先の利益を追いかけ、堀江もん、見たいな起業家が出て来るのよね」
「出資を条件に、あからさまに私の身体を求めてくる助平なジジイも居たしね」

「俺も助平ジジイだよ」と言って義男は照代の太股に手を遣った。
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