行商先で出会った女。其の一
『行商先で出会った女』の原作は戦前から戦後にかけて女色に明け暮れした
男から見た「女と性」の話です。
此処では設定・人物の等を万屋風にアレンジして書いて居ります。
(1)

終戦を境に世の中も随分変わりましたが、お互いの身の上にも大きな変化が起きましたねぇ。
えェ、私だって元からの行商人じゃありません。これでも戦時中は、横浜で大手造船所に
工作機械や工具をなどを納入していた商社の社長でした。

勿論メーカーじゃ有りませんから、立派な工場などでは有りませんでしたが、
職人を四、五人位使って、船舶用のクレーン・モーターなどの巻き線代えや、
一寸した計器類の修理や電気工事をやれる程度の技術は持って居りました。

それが1945年(昭和20年)5月29日の横浜大空襲で全てを失いました。
戦況はどうも雲行きが良くないくらいの事は色々な話から想像はしないではなく。
妻子は昭和17年の夏女房の実家に疎開させていたんですが、
まさかあんなにアッサリ、何もかも無くなるなんて・・・。

残ったものは、僅か一万円足らずの貯金と、受注先の約手、発注工場への前渡金の
預り証等、〆て百数十万円、と言うと、当時としては相当な金額では有りましたが、
この殆どが無効証文に等しいもので、色々この証文類を生かすことや転換の方法も
考えて見たんですが、結局どうにも成らないと言うことに落ち着かざるを得なかったんです。

えーい、面倒臭い。この混乱の最中だ、別段機械屋だけが生きる道でもあるまい。
お天道様と米の飯は・・・などと、こうな成ると案外に無鉄砲な所のあるO型人間の
性格から、焼け跡に建てたバラックと、残った雑品等を叩き売って作った金が六万円余り。
合計七万円を資本に始めたのが、この行商なんです。

ええ?冗談ではありません。当時私は四十の大台を二年後に控えていたんですよ。
それに、別居こそしていましたが、女房と子供の二人もあったんですから、
只、陽気浮気な旅回りを始めた訳では無論ありません。

妻子ですか?女房の実家新潟へ疎開させていたんですが、疎開して間もなく女房の奴に
一寸変な事がありましてねぇ。それ以来、事実上離婚したと同じ状態なんです。
最も戸籍上は、子供の事もあり、何かお互いに先んじて其の事に触れたくない
気持も手伝って、其の侭放ってはありますが。

ええ?その経緯を話せって言うんですか。辛いですなあ、余り愉快な事じゃないんで・・・。
冗談言っちゃいけません。私は十六歳の時から、丁稚奉公をして、やっと暖簾分けを
してもらうまで勤め上げた位で、酒こそ少々呑みましたが、
女の事でこれぽっちもシクジッタ事はありません。

その女房と云うのも、奉公先の主人が、私の生真面目さを見込んで、
自分の姪に当たる女を進んで媒酌して下さった位なのです。
それほど聞きたいのなら、事の序にこの経緯に就いても、一通り聞いていただきましょうか。

子供の転校の都合も考えて、疎開させたのですから、確か八月の中旬だったと思います。
妻子を送って行った私は、義父母に呉々もと依頼し、当面の生活費や万一の準備にもと、
十万円の金を持たせて置いて、二泊して帰りました。

女房は定子と言いますが、その時三十歳でした。二晩目、即ち帰浜する前夜、
義父母が何かと今後の事などに就いても話したがるのを、苛立たしそうに離れ屋敷へ
私を誘い込むと、むずかる次男を叱り飛ばして、無理矢理に寝かせつけた定子は、
すっぽり丸裸になり、私に飛び掛る様に抱きつくと、もう淫汁でヌルヌルに濡れそぼった
オマンコを太股に擦り付け、息遣いも荒々しく挑みかかるのでした。
私は十年間の結婚生活で、その夜ほど情熱的な定子の媚態を見た事は有りませんでした。
元来大柄で、肉付きも豊かな定子は、私を押さえ込む様にして、大きな乳房をにじり付け、
私のチンポを握ってメチャメチャに擦り上げるのでした。

その前夜も、明け方迄に三遍も気を遣らされ、些か疲れ気味だった私も、
煽られて勃起して来ると、定子はやにわに乗り跨って押し込み、
茶臼で二回も続け様に気を遣ったのでした。

私のチンポは長さに於いては自慢できるモノでは有りませんが、雁が高く胴の太い、
所謂掻き出しマラと言う奴で、茶臼で遣るのが一番良いのか、それ迄でも定子は、
好んでこの体位を取っていた訳でした。

定子が荒々しい吐息とともに、二遍も気を遣ったので、私も堪らなくなったのですが、
一息つく間もなく、定子は今度は跨ったままの身体を、クルリ逆に向くと、
淫液でベトベトのチンポを口にスッポリ咥え込み、舐めたり吸ったのし出したのです。

私は人々の猥談で、口淫と言うものを聞いてはいましたが、無論そんな経験がある訳ではなく、
通常の夫婦間でそんな怪奇な方法を選ぶ必要があるとも考えなかったので濡れ滴る粘液を
拭いもせず、ズボリズボリと舐め擦りながら、クネクネと白い大きな尻を揺すり立てる様を
眺めていると、何か定子が淫獣の様な気がして成らなかったんです。

処が、間もなく、充血した亀頭をザラつく舌で舐められている間に、言い様の無い妖しい
快感がぐっと昂まって来て、目の前に揺らぐ定子の大きな尻に抱きつくと、
喘ぐ様に息づいているオマンコへ、指を三本押し込んで、夢中でグリグリ四五遍荒っぽく
くじったかと思うと、耐えきれずドックドックと射精してしまったんです。

私は思わず背筋が寒くなる様に思いました。定子が何か不潔に思えてならないのと、
克って私との交合で一度も経験した事の無い、こうした遣り方を、何時、どうして知ったのか。
不審な気持が湧いて来ると、情熱も消え失せて、其れからは如何しても勃たなくなったのです。

苛々した気持を露骨に眉間のあたりに見せた定子が、それからの一時間余り、
為すが儘に委ねた私の身体を、欲しい儘にしながら加えられた情欲の表現形式は、
実に奇怪とも淫猥とも言い表し様のないもので、
私は烈しい嫌悪を感ぜずには居られなかったのでした。

やっと汗まみれの身体を横たえ、唇を寄せて来た時、私は思わず顔を背けたのでした。
それから一寸まどろんだかと思うと、又起こされてね半ば朦朧とした意識の中で、
定子は更に一、二回気をやった様でした。

夜明け方、便所へ立った私が、もう一寝入りと思った途端、
待ち構えた様に定子が挑み掛かって又三十分余り、
遂に子供達が眼を醒ますまで、まあ続けづめと云った形でした。

定子も子供も床を離れてから、私は前夜からの事を省みて何か不可解な
疑惑を持つと共に、一体、あれ程盛んな欲情を、
疎開後の生活で如何に処理するかを想って不安な予感に捉われたのでした。

それ以降、定子のああした気狂い染めた欲情を見る事は有りませんでした。
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